【Introduction of Iwakura 71】Visit・Photo:2018.5.26/Write:2018.8.16
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:祭祀されていないが過去に信仰の形跡あり
□岩石の形状:巨岩単体
□備考:諏訪七石の一つ
□住所: 長野県茅野市宮川
□緯度経度:35°59’21.61”N 138°07’27.48”E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
諏訪の守屋山の中腹に小袋石(おふくろいし)があります。幅約8メートル、高さ約2メートルの巨岩で地面とは縁が切れています。この巨岩には「舟つなぎ石」の別名があり、太古は諏訪湖の水がここまであり、この岩に舟をつないでいたと言い伝えられています。昔は諏訪湖が中山道まで迫っていたと聞きましたが、小袋石の標高は916メートルで、現在の諏訪湖との間には160メートルもの標高差があります。縄文海進から考えるとこの差は大きすぎますが、小袋石まで海面が迫っていたかどうかは検討の余地があります。
小袋石の周りには、磯並社(玉依姫命、池生神)、瀬神社(須瀬理比売命(説))、穂股社(御井神(説))玉尾社(興玉命)、磯並山神(大山祇神)、下馬社(道俣神(説))の小さな祠があります。ここは、諏訪大社の境内地で、大祝が職位するときの上十三所御社参の祭場ですので、磐座祭祀が行われていたと考えられます。
諏訪大社は、上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の4つの社から成り立っていますが、いずれも本殿を設けず、上社は磐座を通して守屋山を拝し、下社は斎庭(ゆにわ)の木を拝しており、古代の祭祀形態を守り続けています。上社は、建御名方冨神(たけみなかたとみのかみ)を祀り、建御名方冨神の神裔とされる神(みわ)家が大祝を務めました。神家は諏訪氏と名乗り、戦国時代に活躍します。下社は、妃神の八坂刀売神(やさかとめのかみ)を祀り、信濃国造の金刺(かなさし)氏が大祝を務めました。大祝の下には神長(かんのおさ)が置かれました。上社の神長は、守矢(もりや)氏が務めました。守矢氏は、守屋山の神、洩矢神の神裔とされ、建御名方神に征服された神と伝わっています。
そして、この4社の中で特に重要なのは前宮です。大祝は、前宮の神原(ごうはら)に居をかまえ、前宮で祭祀を行なっていました。この前宮には、大祝に神を降ろす時に使われた要石と呼ばれる磐座があったとされる場所や、大祝の住居の庭にあった弓立石、ミシャグチ神とともに冬ごもりした土室、御頭祭(おんとうさい)が行われる十間廊が残っています。
小袋石は、神長官の御左口神社と守屋山の間に鎮座しています。上社本宮が硯石を通して守屋山を拝していたように、御左口神社は、小袋石を通して守屋山を拝しているのではないでしようか。
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