144 沖縄県 普天満宮の奥宮洞窟

【Introduction of Iwakura 144】


□分類:信仰設備(広義のイワクラ)

□信仰状況:神社に祭祀されている

□岩石の形状:巨岩組(洞窟) 

□備考:鍾乳洞が普天満宮の奥宮となっている。神社に申し込むと奥宮を参拝できる。鍾乳洞内は写真撮影禁止。


 □住所:沖縄県宜野湾市普天間

□緯度経度:26°17'35.35"N 127°46'37.765"E

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 普天満宮(ふてんまぐう)は、沖縄県宜野湾市普天間のCamp Foster米軍基地に接した場所にある神社で、沖縄県中部最大の聖地として崇敬を集めている神社です。

戦時中(1945年)は、御神体を糸満に避難させました。戦後は米軍に敷地を接収されて立ち入ることができませんでしたが、1949年に敷地が開放されると、簡単な社殿と鳥居が建てられました。1952年の鳥居の扁額には「普天間宮」と記載されていましたが、1963年に本殿が再建されたときに「普天満宮」と掲げられました。したがって「天満宮」という名称ですが、菅原道真との関係はありません。以後、ここでは「普天間宮」という名称を使用します。

普天間宮の洞窟に琉球古神道を祀ったことが神社の始まりで、15世紀に熊野権現を合祀したと伝えられています。御祭神は、熊野権現、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、天照大御神、家都御子神、琉球古神道神、日の神、竜宮神(ニライカナイ神)、普天間女神(グジー神)、天神、地神、海神となっています。熊野権現から家都御子神までは、熊野十二所権現に含まれる神々です。それ以後がこの土地に根差した神々と言えます。中でも普天間女神の伝承は次のように特徴的です。

那覇市首里桃原に美しい娘が住んでいました(この場所は普天間権現宮発祥の地として祀られています)。娘は家で機を織り人目に触れない生活をしていました。娘には嫁いだ妹がいました。妹は、夫からどうしても一目、姉(美しい娘)に会いたいとせがまれ、姉を庭に誘い出し、夫に姉の顔を見せました。夫は、その娘のあまりの美しさに驚いて感嘆の声を上げました。それに気付いた姉は、家を飛び出し、飛ぶように普天間の丘に向かいました。娘の姿は次第に神々しい姿に変わり、普天間の鍾乳洞に入り、二度と姿を現しませんでした。人々は、普天間の洞窟に社を建てて、娘を永遠の女神として祀ったといいます。その後、洞窟から仙人が現れて「我は熊野権現なり」と示されたといいますから、この普天間宮は、普天間女神を祀った場所であり、後に熊野権現が勧請されたと推測できます。

普天間宮の構成は、鳥居、狛犬、拝殿、本殿と本州の神社様式に則っています。しかし、鍾乳洞の中に奥宮を祀っているところが異質です。

伝説から察すると、この鍾乳洞を祀ったことが普天間宮の祭祀の発端です。【Introduction of Iwakura 143】でも言及しましたが、沖縄においては、洞窟は生活の場でもあり風葬の場でもありましたので、祖霊崇拝の延長上に祭祀が形成され、洞窟が神聖視されたと考えられます。

鍾乳洞は、洞口が2箇所あり、全長は280メートルの巨大な洞窟です。2024年4月に、沖縄国際大学考古学研究室は、この洞窟内で約3万2千~3万1千年前(旧石器時代)の炉の跡が確認されたと発表しました。調査では、約1万1000年前の人骨片も確認されており、この洞窟が非常に古い時代から継続的に使用されてきたことが判明しました。

鍾乳洞の祭祀対象が不明確なため信仰設備(広義のイワクラ)に分類しました。なお鍾乳洞内は、写真撮影が禁止されているため、社殿の写真を掲載しています。 

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