【Introduction of Iwakura 153】
□分類:伝承岩石(非イワクラ)
□信仰状況:信仰の形跡なし
□岩石の形状:石単体
□備考:祈願に使用されているが信仰には至っていないと判断
□住所:愛媛県松山市道後湯之町
□緯度経度:33°51'08.015"N 132°47'11.404"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
道後温泉本館の北側に「玉の石」と呼ばれる石が置かれています。小さな石でありながら「伊予国風土記」に伝説が残っています。
風土記は、713年頃に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上された書物で、56国の風土記があったと考えられますが、完全に残っているのは出雲国、一部が残っているのは播磨国、常陸国、豊後国、肥後国だけで、そのほとんどは失われています。したがって、「伊予国風土記」そのものは伝わっていませんが、「釈日本紀」の中に「伊予国風土記」の引用(逸文)が残っています。
その「湯郡」という部分は以下の通りです。
「大穴持命、見悔恥而、宿奈毗古那命、欲活而、大分速見湯、自下樋持度来、以宿奈毗古奈命而、漬浴者、暫間活起居。然詠曰「真暫寝或」。践健跡処、今在湯中石上也。
凡湯之貴奇、不神世時耳、於今世染疹痾万生、為除病存身要薬也。」
大穴持命(おおなもちのみこと)が悔い恥じて、少彦名命(すくなひこなのみこと)を生かすために大分から湯を引いて、少彦名命を湯に漬けると蘇り、「しばらく寝ていたようだ」と言い、足を踏みしめた。その足跡が今も湯の中の石の上に残っている。これは神代の話だけでなく、今も病に苦しむ人にとって薬となっているという内容です。
この逸文の訳し方には2通りあるようで、岩波書店の秋本吉郎:『風土記』(1958)では、筆者の意訳と同じ少彦名命が蘇生する話、小学館の植垣節也:『風土記』(1997)の書き下し文では、大穴持命が蘇生する話に訳されています。「しばらく寝ていたようだ」と言って蘇生したのは少彦名命なのか大穴持命なのかという問題です。後者では、少彦名命が医薬の神であることや大穴持命は何度も蘇生されていることから、少彦名命が大穴持命を蘇生させたとする方が相応しいという考えなのだと思います。逸文は、大穴持命が悔い恥じるところから始まりますが、この原因がわかれば明確になるのですが、その部分は残っていません。
玉の石は、1メートル程の大きさの丸い石で、柄杓でお湯をかけると願いがかなうと言われています。上部に神様の足跡と伝わる穴が一つ空いています。その大きさから大穴持命の足跡ではなく、少彦名命の足跡の方が相応しいと思います。また、逸文では湯の中にあると書かれていますが、現在は湯殿の外に存在しています。江戸時代には現在の場所にあったようですが、玉の石が動かされたのか、温泉場が移動したのかは不明です。
この玉の石は、磐座祭祀が行われているわけではなく、石神でもありませんし、信仰設備でもありません。祈願に利用されてはいますが、信仰には至っていないと考えて、伝承岩石(非イワクラ)に分類しました。武将や聖人が腰をかけた腰掛石などと同じ分類です。
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