【Introduction of Iwakura 154】Visit・Photo:2013.9.21 /Original:2014.2.16 / Write:2025.1.25
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:祭祀されていないが過去に信仰の形跡あり
□岩石の形状:岩群、中心部に岩組(平石を組んだもの)
□備考:人工物、麓に巨岩の立石あり
□住所:愛媛県越智郡上島町生名
□緯度経度:34°16'51.32"N 133°10'23.76"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
生名島(いきなじま)には、しまなみ海道の因島からフェリーに乗って渡ることができます。この島にある巨大な立石については、【Introduction of Iwakura 13】で「生名島の立石」として紹介しましたが、この立石の裏山の頂上に立石山遺跡があります。
この遺跡について教育委員会の看板では以下のように説明しています。
「この頂上部全体が祭祀の場(磐座)であり陽石(男性)、陰石(女性)があります。昭和50年秋の文部省による弥生系高地性集落総合研究では、太形蛤刃石斧、石包丁、石鏃、磨石、ナイフ型石器などの石器類と、弥生式土器片が多量に出土しました。弥生時代中期の「倭国大乱」と関連づけて考えられており、祭祀と軍事的防塞との複合遺跡として、極めて重要な文化財ですから、大切に保存しましょう。昭和51年3月 上島町教育委員会・旧生名村文化財専門委員会」
この遺跡は、1975年に学術調査され、旧石器時代のナイフ形石器から古墳時代の須恵器まで出土しました。特に弥生時代の土器が最も多く出土しています。また、遺跡は比較的小さな岩で構成されていますが、これらの岩は人為的に配置されたものであり、古墳時代以前に構築されたことが明らかとなっています。人工的に造られた古代祭祀跡であることが証明されている珍しい例といえます。
愛媛県生涯学習センターの『えひめの記憶』によると、貝殼類が南斜面を七~八メートル下った岩陰から土器片とともに出土していますが、山頂の岩群からは出土していません。このことから、頂上部の磐座で神に供献した貝類を神事ののちに食し、この食滓を神聖なものとして岩陰に隠匿したと推測されています。
立石山遺跡は人の住まない山頂部で祭祀が行われていた場所と考えられます。遺跡は、数多くの岩で構成されていますが、中心となるのが6枚ほどの平板状の岩で構成された岩組と考えられます。この岩組には神を降臨させた可能性があるほか、巫女(シャーマン)が立って神憑りを行っていたのかもしれません。
また、この場所に立つと、下界との隔絶感が強くなり、逆に空が近く感じられます。この時代の神は、固有名詞が付いた人格神ではなく自然神でしたので、太陽や月や星といった天体を神として崇拝していたのかもしれません。
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