【Introduction of Iwakura 148】
□分類:伝承岩石(非イワクラ)
□信仰状況:民間に祭祀されている
□岩石の形状:岩単体
□備考:川の中にある
□住所:岡山県津山市一宮
□緯度経度:35°06'02.30"N 133°59'39.81"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
岡山県津山市に鎮座する中山(ちうさん)神社は、延喜式にも掲載されている名神大社で、美作国の一宮です。この神社の縁起譚については、【Introduction of Iwakura 147】で猿神説を紹介しましたが、もう一つの縁起譚が伝わっています。
社伝によると「鎮座地は苫田郡一宮村大字長良嶽。中山の神は始め英多郡楢原に出現して藤内(東内)氏の奉仕を受けた。次いで、苫田郡田辺の霧山に移り、里人の有木氏の奉仕を受けた。その後、神は自ら鵜の羽を水に浮かべ、「この羽の流れ着くところに留まる」と言われた。有木氏は流れる羽を追って行ったが、羽は長良山の下に留まった。これが今の社地である。今度は中島氏が奉仕した。」
中山神社の北を流れる宮川の中に注連縄が巻かれた羽留石(はどめいし)が存在しています。この岩に鵜の羽が留まったと考えられます。そして、中山神社のあたりを「長良嶽」といい、宮川は上流になると「鵜の羽川」と名前を変えます。「鵜の羽川」の水源あたりの霧山には、明治末頃まで霧山神社が存在していました。霧山神社は中山神社の奥の院と呼ばれ、磐座も存在するようです。
この縁起譚に登場する東内氏と有木氏は、中山神社の荷前(のさき)祭主を務めました。特に、有木氏は吉備にとって非常に重要な氏族です。備前と備中の境の吉備の中山の麓の有木神社に本拠を構えており、吉備の中山の原始祭祀に深く関わっていたと考えられます。また、備後の一宮である吉備津彦神社の神主は吉備の中山から派遣された「有鬼(ありき)氏」です。そこに美作の中山神社にも関わり、荷前(のさき)祭主を務めていたとなると、吉備国が備前、備中、備後、美作に分国されたときに、それらをつなぎとめる役割を果たしたのかもしれません。ちなみに、有木氏と並んで中山神社の荷前祭主を務めた東内氏は、吉備の中山の備前側の吉備津彦神社の神主家である藤内(とうない)氏と同一と考えられます。
そしてこの縁起譚には、「鵜(ウ)」と「長良(ナガラ)」が登場します。薬師寺慎一氏は、岐阜の長良川の鵜飼に代表されるように、「ウ」と「ナガラ」はセットではないかと考えられています。鵜飼と皇室の歴史は古く,律令時代には鵜飼人は宮廷直属でした。さらに『今昔物語集』の「今昔、美作国に中参・高野と申す神在ます。其の神の体は、中参は猿、高野は蛇にてぞ在ましける。」と記載される「高野(かうや)」の高野神社は美作の二ノ宮ですが、その御祭神は鵜葺草葺不合(うがやふきあわせず)命です。鵜葺草葺不合命が誕生した産屋は全て鵜の羽でふいたが、屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれたとされる神で、神武天皇の父神にあたります。ここにも「鵜」が登場します。この美作の地になぜ「鵜」にまつわる伝説があるのか、不思議です。
さて、羽留石は、伝説に登場する岩石ではありますが、神が降臨した磐座でもなく、石神として信仰されているわけではないので、伝承岩石(非イワクラ)に分類しました。
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