【Introduction of Iwakura 147】
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:神社に祭祀されている
□岩石の形状:巨岩単体(岩壁)
□備考:岩壁を祀る猿神社
□住所:岡山県津山市一宮
□緯度経度:35°06'03.21"N 133°59'34.74"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
岡山県津山市に鎮座する中山神社は、延喜式にも掲載されている名神大社で、美作国の一宮です。707年に社殿が創建されたと伝わり、現在の社殿は、出雲城主尼子晴久が1559年に再建したものです。
この中山神社の本殿は、入母屋造妻入という非常に珍しいタイプのうえに唐破風の向拝が付けられていて中山造と呼ばれています。また、鳥居も島木があって貫が柱までに留まっていて、これも珍しい形で中山鳥居と呼ばれています。
御祭神は、主神に鏡作神(かがみつくりのかみ)、相殿に石凝姥神(いしこりどめのかみ)と天糠戸神(あめのぬかどのかみ)となっています。しかし、鏡作神自体は、他の歴史書に登場しない神です。一方、石凝姥神は、天孫降臨の五伴の緒であり、八咫鏡を造った神であり、鏡作部の祖神なので、なぜ主神として祀られてないのか不思議です。さらに、『特選神名牒(1925)』によると、中山神社の御祭神については、鏡作命にて天糠戸神石凝姥命、吉備武彦命、大巳貴命、金山彦命などの説があると書かれています。それぞれに理由がありますが、「鏡作神」については、美作国が産鉄国であったために御祭神としたのかもしれません。
なお、1871年には、御祭神を金山彦命に変更させられましたが、1946年に元の御祭神である鏡作神に戻っています。
また、『延喜式(927)』では、中山神社は「チウサンノ神社」とルビが振られています。つまり平安時代には「ナカヤマ神社」ではなく「チウサン神社」であったということになります。
そして、『今昔物語集』の巻26第7話「美作国神依猟師謀止生贄語」に、「今昔、美作国に中参・高野と申す神在ます。其の神の体は、中参は猿、高野は蛇にてぞ在ましける。」と書かれており、チウサン神社の神の姿が猿であると明確に記載されています。
『今昔物語集』の話は、若い娘を生贄に捧げることになっていた家に、犬を使って狩をしている猟師が通りかかった。娘をいとおしく思った猟師は、犬とともに長櫃に入って待つと猿達が現れた。猟師と犬は長櫃を飛び出し、犬は猿達を殺し、猟師は大猿に刃を当てて今にも殺そうとした時、宮司に「我を赦せ」との神託があったので、大猿を放った。その後、猟師は娘と永く夫妻として暮らし、生贄も無くなった。という話です。
さて、中山神社の裏手に回り、北西に150メートル歩くと猿神社があります。岩壁の前に小さな祠が置かれています。この祠は岩壁を祭祀するためのものであり、この岩壁への祭祀こそが、中山神社の原始の祭祀だったのではないかと思います。
岩壁に対する磐座祭祀が行われていたと考えて狭義の磐座に分類しました。
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