【Introduction of Iwakura 112】
□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)
□信仰状況:寺院に祭祀されている
□岩石の形状:人工物、巨岩単体
□備考:文字が彫られた岩石、周辺に仰臥岩、雲ヶ岩及び六甲比命大善大神の磐座がある
□住所:兵庫県神戸市灘区六甲山町
□緯度経度:34°45'58.99"N 135°14'20.23"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
六甲比命神社の周りには、名の付いた岩石群があります。山の頂上から麓に向かって仰臥岩、雲ヶ岩、六甲比命大善大神の磐座、心経岩(しんぎょういわ)と並んでいます。
心経岩は、高さ5メートル、幅6メートル以上の皿状の岩が立てられたものです。表面に「摩訶般若波羅密多心経」が彫られています。もともと、法道仙人の頃(6~7世紀)に彫られていましたが、風化してしまったので、1916年に彫りなおされたものと云われています。この例でわかるように、岩石に彫られた文字というものは風化で消えてしまいます。ペトログリフを研究されている方は、岩石の風化速度を良く考えた上で、その文字が彫られた年代を推定すべきです。
さて、この六甲比命神社岩石群のある場所は、多聞寺の奥の院となっており、長らく禁足地だったと言われています。それゆえ、昭和時代にイワクラ探索した人達の記録に、この場所のイワクラが登場しないのです。
有野町唐櫃の吉祥院多聞寺は、毘沙門天、吉祥天、善弐師童子を本尊とする真言宗の寺院です(垂水の吉祥山多聞寺ではありません)。インドから渡来した法道仙人によって六甲山の西側の古寺山に建立されたと伝わります。平安時代末期に平清盛が福原の都の鬼門を守る寺院とし、鞍馬・八瀬・大原から人々を移住させました。しかし、多聞寺が源義経の道案内を断ったため古寺山の堂宇は焼き払われました。多聞寺は、1462年に現在の唐櫃(からと)に再建されています。「唐櫃」と言う珍しい地名は、神功皇后が三韓征伐の帰りに立ち寄り、雌雄の黄金の鶏を石の唐びつに入れて埋めた伝説に因んでいます。唐びつが埋められた場所は布土の森にある石の祠か少し北にある岩の下と言われており、子供達が節分の夜に鶏の鳴きまねをする行事が残っています。
また、昔からこの唐櫃には、役行者の命によって奈良の天川村の洞川から四鬼家が移り住み、唐櫃と六甲山の山伏を管理していました。法道仙人だけでなく役行者も、またこの六甲比命神社岩石群を重要視して、守らせていたことがうかがえます。
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