129 三重県 興玉の森の石積

【Introduction of Iwakura 129】


 

□分類:信仰設備(広義のイワクラ)

□信仰状況:民間に祭祀されている

□岩石の形状:石群、ケールン(石積)

□備考:人工物


 □住所:三重県伊勢市中村町

□緯度経度:34°28'08.284"N 136°43'42.301"E

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 伊勢の神宮の摂社の一つである宇治山田神社の裏手に石積があり注連縄が渡されて祭祀されています。

この石積は2012年に発見し、私のサイト「ミステリースポット」に「この社の裏手に、小さな石を積んだ上に注連縄が張られた場所がある。この組石に向うと南東の方向に拝することとなる。つまりこの組石は、朝方の太陽を拝む祭祀場ではないかと考えられる。伊勢の地に古代から伝わる太陽崇拝であろうか、ただその施設がひっそりと隠されているのはなぜであろうか、だいたいこの宇治山田神社には立て看板もなく、参拝を拒んでいるかのようである。」と書きました。

すると、「神宮巡々」というサイトを運用されている桝屋善則氏から、長年、神宮を調査しているが、この石積ははじめて知ったという連絡がありました。その後、桝屋善則氏が地元で行った調査によると、『神宮摂末社巡拝 下』に次のような記載があることがわかりました。

「北中村の御側橋を渡った所にある小高い丘陵の森を興玉の森と呼んでゐる。興玉の神、即ち猿田彦大神(或はその子孫の太田命ともいふ)が、居住し給ひし舊跡である所から、こゝを興玉の森と呼ぶのであるといはれてゐる。一名を上の杜とも亦猿田彦の森とも言はれてゐる。この森の小山の頂上の西側に、一つの石積の石壇がある。これが興玉の神の拜所である。注連縄を張つて、東の方を向いて、この森の中央を拜むやうになつてゐる。もとは、この石畳(表八尺横三尺)の前に鳥居が建てられてゐた。こゝの拜所は昔から猿田彦大神の子孫である宇治土公氏が、自分の祖先の祭りある氏神祭をした所で、四月の初の申日に、この祭りが行はれてゐる。このことは鎌倉初期の神宮の記録である建久の皇大神宮年中行事の中にも見えてゐる所から推して、既に八百年以上の昔から行はれてゐたものであることが分る。今でも、毎年、新年には新らしい注連縄が懸け替えられ、宇治土公氏は、こゝに氏神祭りの遺風を繼承してゐる。宇治土公氏の祖、興玉神は、伊勢五十鈴川上の地主の神であり、又、その子孫である太田命は楠部の神田を献じてゐる。宇治土公氏の名前自体も宇治の土公(豪族)であることを示してゐることなど思ひ合はすならば、この地に宇治土公氏祖神の墳墓があり、これに於て氏神祭りの行はれて来たことは當然なことゝ言はなければならない。」

この記録によると、この興玉の森の石積は、興玉神を祀る場所であることがわかります。興玉神は、二見ケ浦の夫婦岩の700メートル先の興玉神石に降り立った神で、内宮の御垣内にも祀られています。この興玉神は、猿田彦大神と考えられています。猿田彦大神は道案内の神であるとともに太陽神の性格も持ち合わせていますので、石積を介して太陽を拝んでいることと符合します。

興玉の森に鎮座している皇大神宮の摂社である宇治山田神社(うじようだじんじゃ)は、山田比賣命(ようだひめのみこと)を御祭神としており、その親神である大水上御祖命(おおみなかみのみおやのみこと)と御裳乃須蘇比賣命(みものすそひめのみこと)を祭神とする那自賣神社(なじめじんじゃ)も同座しています。これらの神々は五十鈴川の水の守神です。そして、宇治山田神社は、五十鈴川の側から明治2年に現在地に再興したものです。したがって、興玉の森の本来の姿は、この石積の場所で行われていた太陽を拝む原始的な祭祀であったと考えられます。

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