133 三重県 二見町の猿田彦石

【Introduction of Iwakura 133】


□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)

□信仰状況:過去に信仰の形跡あり

□岩石の形状:巨岩単体

□備考:


 □住所:三重県伊勢市二見町江

□緯度経度:34°30'17.081"N 136°47'34.701"E

 

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三重県の二見ケ浦の夫婦岩の近く、二見町江の町中に猿田彦石が鎮座しています。高さ2メートル、幅5メートル程度の岩で、猿田彦大神として崇拝されてきたようです。今は注連縄もされずに、子供達の滑り台となってしまっています。

もともとは、江川の対岸にあった猿田媛石と対をなすものであったようですが、今は猿田媛石はありません。他にもこの地域には、名付けられた岩石がたくさんあったようです。

さて、この猿田彦石を語るうえで外せないのは、100メートル西の太江寺です。潮音山太江寺は、天平(729~748)に行基が天照大神のお告げを受けて、二見浦で興玉神を参拝したところ、興玉神石より昇る観音菩薩と竜神を感得して太江寺を建立しますが、その時に、地主神社にあった興玉神を太江寺の鎮守神として祀ったと伝わります。また、825年に空海が朝熊山に金剛證寺を中興した時には、太江寺にも再三訪れたそうです。その後、醍醐天皇は病気平癒の願いが叶ったため、本堂である七間四面の観音堂を建立し、勅願寺となっています。

この太江寺の興玉社は、1897年に夫婦岩の側の二見興玉神社へ遷座されているのです。その遷座後も、太江寺の興玉社には、『御神鏡』、『御神石』、二見蛙の御神体『蛙石』が祀られており、元興玉社と呼ばれています。

つまり、安政の大地震(1854年)で海中に姿を消した興玉神石への祭祀は、太江寺の近くで興玉神が祀られていたが、8世紀に仏教が上書きし、さらに1897に現在の夫婦岩の側に遷座したことになります。

今回紹介した猿田彦石は、太江寺と100メートルしか離れておらず、興玉神は猿田彦大神であることから、もともとは、この猿田彦石で興玉神への祭祀が行われていたのかもしれません。

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