【Introduction of Iwakura 141】
□分類:信仰設備(広義のイワクラ)
□信仰状況:民間に祭祀されている
□岩石の形状:巨岩組(洞窟)
□備考: 洞窟の前に石積
□住所:沖縄県うるま市浜比嘉島
□緯度経度:26°19'27.35"N 127°57'58.63"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
沖縄島うるま市の浜比嘉島には、海中道路と浜比嘉大橋という2つの大橋を渡って行くことができます。アマミチューの墓は、浜比嘉島の北東部のアマジンという小島にあります。小島は陸続きになっているので歩いて渡れます。キノコ型の岩が海上に突き出た沖縄独特の景色を見ることができます。小島の西側の波打ち際に降りて進むと小さな広場があり、その上にアマミチューの墓があります。お祭りの日に訪れたので、アマミチューの墓の前で祝女(ノロ)と村の人が準備をしていました。
岩の口が開いているので、洞窟の前に石で壁を造り、その前を拝所(イビ)としているようです。洞窟を対象とした信仰であり、この洞窟の空間を利用した祈り場と考えて信仰設備(広義のイワクラ)に分類しました。
さて、このアマミチューの墓は、アマミチューが葬られた墓と伝わっているところです。浜比嘉島の南部には、シルミチューの霊場と呼ばれる洞窟があり、アマミチューとシミチューが住んでいた所と伝わっています。洞窟は家であり墓としても利用されていたようです。
このアマミチューは琉球開闢神話に登場するアマミキヨという女神の事です。沖縄の歴史書毎に、アマミキヨ、アマミク、アマミコ、アマミキュ、(男神は、シネリキヨ、シレニク、シニレク、シネリキュ)と語尾が変化しますが、同じ神を指していると考えられます。
琉球国の正史である『中山世鑑(1650年)』には琉球の開闢について、次のように書かれています。
「曩昔天城ニ阿摩美久ト云神御坐シケ天帝是ラ召シ宣ケルハ此下ニ神ノ可住霊處有リ去レトモ未タ島ト不成事コソケヤシケレ爾降リて島ヲ可作トソ下知シ給ケル阿摩美久畏レ降リテ見ルニ霊地トハ見ヘケレトモ東海ノ浪ハ西海ニ打越シ西海ノ浪ハ東海ニ打越シテ未タ嶋トハ不成ケリ去程ニ阿摩美久天ヘ上リ土石草木ヲ給ハレハ嶋ヲ作リテ奉ニトソ奏シケル天帝睿威有テ土石草木ヲ給リテケレハ阿摩美久土石草木ヲ持下リ嶋ノ数ヲハ作ソテケリ先ツ一番ニ國頭ニ邊土ノ安須森次ニ今鬼神ミヤキジンノカナヒヤフ次ニ知念森齋塲嶽薮薩ノ浦原次ニ玉城雨辻次ニ久高コバウ森次ニ首里森真玉森次ニ嶋マ國マノ嶽之森々ヲハ作リテケリ数萬歳ヲ経ヌレトモ人モ無レハ神ノ威モ如何テカ可顕サレハ阿摩久天ヘ上リ人種子ヲソ乞給ケル天帝宣ケルハ爾カ知タル如ク天中ニ神多シト云ヘトモ可下神無シサレハトテ黙止又ヘキニ非ストテ天帝ノ御子男女ヲソ下給ニ人陰陽和合ハ無レトモ居處並カ故ニ徃来ノ風ヲ緑シテ女神胎給遂ニ三男ニヲソ生給長男ハ國ノ主ノ始也是ヲ天孫氏ト號ス二男ハ諸候ノ始三男ハ百姓ノ始一女ハ君々ノ始二女ハ祝々ノ始也・・・国立国会図書館デジタルコレクションより」
意訳すると「天帝がアマミクを呼んで、下界に神の住むべき霊処があるが島の形をとっていない。汝が島を造れ。と言った。アマミクが下界に降りてみると、海原であった。アマミクは天に上り天帝から土石草木をもらって島々を造り始めた。国頭辺土のアス森、今鬼神のカナヒヤブ、知念森の齋塲御嶽、玉城の雨辻次、久高のコバウ森、首里森の真玉森と次々に聖地を造っていった。しかし、数万歳を経ても無人だったので、アマミクは天に上り天帝に人種子を乞うた。天帝は男女の御子をアマミクに与えた。男女は並んで居を構えたため、行き交う風によって女神は懐妊して三男二女を産んだ。長男は国の主の始め(天孫氏)となり、二男は諸侯の始めとなり、三男は百姓の始めとなった。一女は、君々の始めとなり、二女は祝々の始めとなった。」と書かれています。
この『中山世鑑』では、島を造ったのはアマミクですが、人の始祖は天帝であるとされています。これは、琉球王国の他の歴史書である『中山世譜(1726)』、『球陽(1745)』、『聞得大君御殿並御城御規式之御次第』でも同様です。
これに対して、日本の僧侶である袋中良定によって書かれた『琉球神道記(1605)』には、人の始祖はアマミキュとシネリキュと書かれています。また、宮古島ではコイツヌ(古意角)とコイタマ(姑依玉)が始祖であり、八重山ではヤドカリから出た男女が始祖となり、多良間島ではブナジューという兄妹が洪水の後に二人きりとなったため始祖となる原始的な創生神話が伝わっています。
琉球王国においては、天帝とのつながりを開闢神話で謳う必要があったのでしょう。なお、このアマミキヨの神話が見られるのは、沖縄本島の南部地域に限られるようです。
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