【Introduction of Iwakura30】
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:祭祀されていないが過去に信仰の形跡あり
□岩石の形状:巨岩単体
□備考:周辺に岩石群
□住所:島根県出雲市斐川町阿宮
□緯度経度:35°21'19.73"N 132°49'30.32"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
仏教山は、出雲の神奈備山の一つで、『出雲国風土記』に「神名火山。郡家東南三里一百五十歩。高一百七十五丈、周一十五里六十歩。曽支能夜社坐、伎比佐加美高日子命社、即在此山嶺。故云神名火山。」として登場します。
2005年頃、地元の有志が伝承を確かめるために山に分け入り、この伎比佐(きひさ)の大岩を発見し、祭祀を復活させたそうです。
伎比佐の大岩は在感があり、シンボルとしては申し分のないものです。この巨岩の岩陰で火を焚いた跡も見つかりましたので、磐座と考えられます。
この伎比佐の大岩の周りには岩石群があり、祭祀場では無いかと思われる場所が存在しています。また、仏教山の中腹に位置するこの場所は、山の上でありながら滝があり小川が流れていて人が住むことができそうです。隠れ里のような役割を持っていたのでしょうか。
この仏教山の麓に、曾枳能夜神社が鎮座しています。御祭神は伎比佐加美高日子(きひさかみたかひこ)命で、境内の支比佐社の御祭神は伎比佐加美長依彦(きひさかみながよりひこ)命です。
私の持論は「磐座祭祀は山を降って神社になる」ですが、この神社でも当てはまります。平野芳英氏(元荒神谷博物館)によると、伎比佐加美高日子の山宮は仏教山の頂上の磐座であり、伎比佐加美長依彦の山宮は仏教山の中腹の磐座(伎比佐の大岩)ではないかと考えられています。
この神社は、『古事記』の垂仁天皇記にも登場し、口が利けなかったホムチワケが出雲の大神を拝むと口が利けるようになったという筋に、白鳥を追いかける話や蛇とまぐわう話が混じって奇妙な話になっていますが、この話の中に「出雲の石硐の曽の宮に坐す葦原色許男大神」という記述があります。
石硐の曽の宮は曾枳能夜神社のことだと考えられますので、葦原色許男(大国主の別名)と伎比佐加美高日子とが同一人物の可能性が出てきます。
また、この仏教山と出雲大社の弥山を結ぶラインが斐伊川と交わる場所に万九千神社が建っているは興味深い事実です。万九千神社の神等去出祭は、古くは仏教山の麓で火を焚いて神々を送ったとも伝えられています。
仏教山は、出雲の古代において、非常に重要な場所でした。
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