072 岡山県 綱掛石神社の綱掛石

【Introduction of Iwakura 72】


□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)

□信仰状況:寺院に祭祀されている

□岩石の形状:巨岩単体、メンヒル(立石)

□備考:周辺に別のメンヒルとストーンサークルがある


□住所: 岡山県岡山市東区

□緯度経度:34°36’15.7”N 134°06’11.2”E

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岡山市東区西大寺に安仁神社(あにじんじゃ)が鎮座しています。 続日本後紀(841年)に書かれている神社ですが、創建は不明です。延喜式にも名神大社と記載され、備前を代表する神社です。御祭神は、五瀬命、稲氷命、御毛沼命となっており神武天皇の兄を祀っていますが、この祭神は近年に「安仁」から「兄」を連想し、神武天皇が吉備に逗留した高島が近くにあることから神武天皇の兄を祀ったとされたもので、本来の御祭神は、渡来人の阿知使主(あちのおみ)を祀ったとの説もあります。

この安仁神社は、宮城山の頂上から尾ノ上という地に遷り、1705年に中腹の現在地に遷座しています。これは筆者の持論である「神社は山から降りてくる」の証拠の一つとなります(『イワクラ学初級編(2016)』)。また、古代は参道に船を止めて参拝していたと伝わり、宮城山の麓まで海岸線が入り込んでいたそうです。

安仁神社には、綱掛石神社の遙拝所があります。これは境外社の綱掛石神社を遥拝する場所です。安仁神社から南東に500メートルの位置にその綱掛石神社があります。

鳥居をくぐると社殿があり、宗像三女神を祀っています。脇の道を登ると不動明王御堂という小屋が見えます。この小屋の後ろに大きな立岩が聳えており、不動明王が彫られています。この綱掛石には、神武天皇が東遷した時に船のともずなを掛けたとの伝承が残っています。しかし、この場所は標高55メートルであり、縄文海進を考慮しても海の上を航行する船をつなぐことはできません。これは何を意味しているのでしょうか。

また、さらに山を登ると、もう一つのメンヒル(立石)があり、こちらには役の行者が彫られています。このメンヒルを取り囲むように岩石が配置されています。四角い基台も残っており、人工的に造られた修験道の祭祀場であったようです。 

綱掛石については、仏教か修験道が不動明王を彫っていますが、修験道や仏教は仏像を拝むもので、綱掛石を祭祀しているわけではありません。しかし、この綱掛石が岩石祭祀されていたために、仏教か修験道が磨崖仏に利用したと推測します。

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