092 岡山県 水門町の幸島稲荷神社の巨岩群

【Introduction of Iwakura 92】


□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)

□信仰状況:祭祀されていないが信仰の形跡あり

 □岩石の形状:巨岩群

□備考:


□岡山県岡山市東区水門町

□緯度経度:34°36'45.8"N 134°03'32.5"E

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幸島(こうしま)稲荷神社のある辺りは、池田綱政が津田永忠に命じて1684年に干拓した土地で、水門町と呼ばれています。江戸時代に干拓によってできた新田に住む住民は増加していきましたが、新しくできた土地なので神社が無く不便でした。そこで、名主や庄屋が氏神勧請願いを奉行に提出し、藩主池田綱政から許可されました。1709年に長船木鍋山の稲荷神社の御分霊を遷して東幸島山の小高い丘に稲荷神社を創建しました。本殿は1712年に建てられました。一直線で曲がりの無い珍しい注連縄が掛けられています。石垣には、宝珠、盃、瓢箪形の石がはめ込んであり、大変繊細な仕事が行われています。

このように江戸時代に創建された新しい神社ですが、本殿の裏には壮大な巨岩群があります。この巨岩群の前には小さな社が設置されており神社が祭祀している形跡もあります。この土地は、江戸時代の干拓の前は海でしたが、この幸島稲荷神社が建てられている場所は小高い丘になっており、古代から島として存在していました。そして、この土地の名前の「幸島」です。「こうしま」と読みますが、京都の神山(こうやま)、大阪の交野山(こうのやま)、奈良の神野山(こうのやま)など、「こう」とは「神」を意味しています。したがって「こうしま」も「神の島」を意味していた可能性があります。また、幸島稲荷神社の御祭神は、高龗神、倉稲魂命、瓊々杵命となっています。稲荷神社なので倉稲魂命が祀られているのは当然として、高龗神はどこから来たのでしょうか。高龗神は、江戸自体より前に、この丘(島)に祀られていた神かもしれません。

以上のことから、古代には岩石信仰が行われていたと推測しました。 

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