【Introduction of Iwakura163】Visit:2018.3.3/Photo:2025.2.3/Write:2025.3.9
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:祭祀されていないが過去に信仰の形跡あり。
□岩石の形状:巨岩単体
□備考:元々、建っていた吉備津彦神社(備前)の本殿跡に残る岩石
□住所:岡山県岡山市北区一宮
□緯度経度:34°40'32.79"N 133°51'48.46"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
備前一宮である吉備津彦神社(備前・岡山市北区一宮)は、大吉備津彦命(別名:彦五十狭芹彦命)を御祭神とする神社で、父親の孝霊天皇や兄弟など吉備津彦命の一族を祀っています。
夏至の日に正面鳥居から日が差し込んで祭文殿の鏡に当たるため「朝日の宮」とも呼ばれています。吉備津彦神社(備前)は、本殿、渡殿、祭文殿、拝殿、随身門、鳥居が一直線に並んでいて、その方角は、本殿から見て58度(北を0度とした表現)です(筆者測定)。本殿から見て、夏至の日(2024年6月21日)に太陽が北方の山の稜線から顔を出す瞬間は、5時0分で61.6度です。3.4度の差は許容できるギリギリですが、社殿の並びと夏至の日の出方位は関係があるといって良いでしょう。
一方、逆の方向(鳥居から本殿を見た方向)は、238度となります。冬至の日(2024年12月21日)に太陽が水平線に沈む瞬間は17時2分で方位は242.4度となり、社殿の並びの方向に近いですが、その方向には龍王山が存在しているので、日の入りは1時間以上早く訪れ15時46分です。そして、その方向は230.8度になり、7度以上異なっていますので、社殿の並びと冬至は関係が無いことになります(太陽の軌道計算はステラナビゲーターで行った)。
また、備津彦神社(備前)から直線距離で1.4キロメートルしか離れていない所に備中一宮である吉備津神社(備中・岡山市北区吉備津)が鎮座しており、不思議な配置となっています。
『延喜式神名帳(927年)』には、賀夜郡の名神大社として吉備津彦神社の名前が見えますが、これは現在の吉備津神社(備中)のことであり、吉備の聖山である中山の祭祀は、吉備津神社(備中)が行ってきました。
吉備国は「飛鳥浄御原令(687年)」によって備前国、備中国、備後国に分割されました。それに伴って吉備津神社(備中)から備前国と備後国に分社したのが、現在の吉備津彦神社(備前)と吉備津神社(備後・福山市新一町)と考えられます。
『延喜式神名帳(927年)』には、吉備津彦神社(備前)が掲載されておらず、福山の吉備津神社(備後)は、12世紀頃に建てられていますので、吉備津彦神社(備前)もその頃に創建されたと考えるのが自然です。
備中と備前が中山の細谷川を境界として分けられたため、吉備津神社(備中)の側に吉備津彦神社(備前)を分社したのではないでしょうか。
『古代御社図』を見ると「御本社 文明三年八間八間 丑寅也 但椙わだぶき也」と書かれていますので、1471年に北東に向いた本殿が存在し、その位置は現在の本殿より南の方向であったことがわかります。その後、1562年には、金川城主の松田元賢が日蓮上人の題目を掲げるように強要しましたが、これを断ったため神社に火をかけられ焼失しました。1601年に小早川秀秋によって本殿が再建されます。そして、1697年に池田綱政によって大規模な復興が行われるのですが、そのときに、それまで神宮寺が建っていた場所に本殿を移して再建されます。その後、昭和初期にも不慮の火災が起こりますが、本殿と随身門は無事でした。
そうなると、夏至の日に正面鳥居から日が差し込んで祭文殿の鏡に当たるという現象は、古い時代から続くものではなく、江戸時代の再建時に意図して設計されたことがわかります。
では、池田綱政の再建前に吉備津彦神社(備前)が建っていた場所はどこでしょうか。中山の麓に住み吉備の歴史を研究された薬師寺慎一氏は、現本殿から南に80メートル離れたところに立っている「公爵桂太郎謹書忠魂碑」のあたりであると推定されています。そして、この忠魂碑の土台となっている巨岩は、一段高い西の畑から降ろされて土台に供されたものですが、この巨岩こそが、吉備津彦神社(備前)が祀っていた磐座の可能性が高いと考えられています。現在は祭祀されていませんが、地元の情報の奥深くまで調査された薬師寺氏の言葉には重いものがあります。
まとめると、吉備の中山は吉備津神社(備中)が祭祀してきた。吉備国は飛鳥時代に備前・備中・備後に分国され、それに伴って平安時代後期に吉備津神社(備中)から備前と備後に分社が行われた。吉備津彦神社(備前)は、吉備の中山の北東に存在していた辺津磐座の一つを祀る形で分社された神社であった。江戸時代に磐座から離れた場所に本殿が再建された。したがって「神社が夏至の日に太陽を真正面から迎えるよう鎮座している」のは江戸時代以降のことである。
この吉備津彦神社(備前)は、分社当時は磐座祭祀を行っていましたが、磐座祭祀を取りやめて、神社の位置と構造を変えることで特別な夏至の日に起こる太陽光のショーを神社に組み込んで神秘性を付加した例といえます。
ちなみに、吉備津神社(備後)でも、本殿の鏡が朝日を反射して参道の中央を貫く「正中光」という現象が起こるらしく、関係があるのかもしれません。
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