119 兵庫県 六甲山の三国岩の西の磐座


【Introduction of Iwakura 119】


□分類:磐座(狭義の磐座)

□信仰状況:民間に祭祀されている

□岩石の形状:岩組

□備考:


 □住所:兵庫県神戸市灘区六甲山町

□緯度経度:34°45'09.94"N 135°12'53.44"E

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六甲山町の丁字が辻の西側に伸びる細い道を入っていくと三国岩(みくにいわ)が現れます【Introduction of Iwakura 118】。この三国岩は昭和初期の絵葉書に何度も採用されるほど、六甲山を代表する名所で、1931年(昭和6年)頃に20回にわたって六甲山を調査した神道家の荒深道斉もこの三国岩を訪れています。

そして、次のように記述しています。「此の三国岩の北方三四間の上、川西邸に北座あり、既往数千年の地震豪雨の為めに崩されて原形を失するも附近に磐境を数多遺して古代遺跡たるを知るに足る。(荒深道斉:『天孫古跡探査要訣』(1939)より)」

荒深道斉は、三国岩の奥に磐座があったが原形を留めていないと記録しています。

この北座の場所には、3つの岩から形成される岩石群が存在し、注連縄が巻かれて祭祀されています。

古代遺跡研究所長の中島和子氏の調査によると、昭和3年に川西邸が建てられる前は、累々と岩石が連なっていた場所だったようです。中島氏は荒深道斉のいう北座を東の磐座と西の磐座に分けて、東の磐座は失われたが西の磐座は残っているとしました。そして中島氏は、この西の磐座に神の顔の彫り物と神代文字があると言っていますが、そのような線刻は見つけることはできませんでした。

荒深が何を根拠に磐座と断定したのかはわかりませんが、おそらく霊能力者としての推測であったと考えます。

現在の西の磐座は、注連縄が巻かれて祭祀が行なわれていますので、「磐座」に分類しました。荒深の調査以降に始まった民間の信仰と思いますので、いずれこの祭祀は途絶えてしまう可能性が高いと考えます。 

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