【Introduction of Iwakura 20】
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:神社に祭祀されている
□岩石の形状:岩単体
□備考:石座神社の元宮
□住所:京都府京都市左京区岩倉西河原町
□緯度経度:35°04'28.826"N 135°47'03.027"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
京都左京区の岩倉に山住神社が鎮座しています。社殿は無く岩石を拝する古い祭祀形態を維持してる神社の一つです。『日本三代実録』に「山城国正六位上石坐神(略)並授従五位下」と記載され、880年には存在していました。971年に、この場所から650メートル北の大雲寺の鎮守神として石座明神が勧請されたことにより、元の石座神社は山住神社と社名を変えました。神社が、元々信仰していた磐座を離れて遷座してしまった典型的な例です。しかし、10月になると二匹の大蛇に見立てた松明を燃やし、5本の剣鉾に先導された神輿が石座神社から山住神社に御神幸されます。つまり、現石座神社では信仰していた磐座を忘れることはなく、御旅所として残しているのです。
桓武天皇が平安京を造った時、平安京に何重にも陰陽道的な仕掛けを施したといわれています。風水思想に叶った四神相応の土地を選び、四方四隅に大将軍神社を置いたりしましたが、さらに平安京の東西南北にある磐座の下に一切経を埋めたと伝わっています。古来からの信仰対象であった磐座に仏教を上書きすることで、磐座の力をコントロールしようとしたものと考えます。この時に「磐座」を書換えたことを示すためでしょうか、「岩倉」という漢字を用いました。これが地名の岩倉になったのです。この山住神社は北岩倉に当たります。西岩倉は、西岩倉山の山号を持つ金蔵寺あたり(西京区大原野石作町)、南は南岩倉の扁額を掲げる明王院不動寺あたり(下京区石不動之町)、東岩倉は焼失した東岩倉山の観勝寺あたり(左京区粟田口大日山)といわれていますが、山住神社以外の磐座は特定されていません。この4つの岩倉をつないだ四角形の中に平安京が収まらないので、西、南、東の岩倉は別の場所にあるのかもしれません。
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