130 三重県 外宮の三ツ石

【Introduction of Iwakura 130】


□分類:非イワクラ

□信仰状況:祭祀されていない

□岩石の形状:石群

□備考:人工物


 □住所:三重県伊勢市豊川町

□緯度経度:34°29'10.744"N 136°42'13.057"E

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伊勢の神宮の内宮は、11代垂仁天皇26年に天照坐皇大御神が鎮座しましたが、外宮は、21代雄略天皇22年に雄略天皇の夢に現れた天照大御神のお告げにより、丹波国から天照大御神の食事をつかさどる御饌都神(みけつかみ)として豊受大御神を迎えたことにはじまるといわれています。この伝説から、明らかに内宮の方が主で、外宮が従のはずですが、なぜか、お参りするときは、外宮を先に参拝しなければならないとされています。

これについては、神宮の歴史が関わっていると思います。内宮と外宮は、天日別や天牟良雲を祖先とする渡会氏が祭祀を務めていましたが、朝廷で藤原氏の力が強まるにつれて、同族の荒木田氏が内宮を取り仕切るようになり、渡会氏は外宮に追いやられてしまいました。鎌倉時代に渡会氏は、これに反発して、外宮の豊受大御神は、国常立尊または天御中主神であると主張する度会神道を成立させました。このとき、奈良時代の神道五部書と呼ばれる「天照坐伊勢二所皇太神 宮御鎮座次第記」「伊勢二所皇太神御鎮座伝記」「豊受皇太神御鎮座本記」「造伊勢二所太神宮宝基本記」「倭姫命世記」が世に出てきますが、これらは、度会行忠らによって、伊勢神宮に伝わる古伝を元に執筆された偽書と考えられています。神道五部書は、外宮が内宮より上位の神格であることを主張するものであったのです。この度会神道が、現在の伊勢神道へとつながっていきます。

さて、外宮の御正宮の直ぐ前に、注連縄で囲まれた三ツ石があります。この場所では、20年に1度の式年遷宮の遷御 (せんぎょ )の前日に仮御樋代、仮御船代や御装束神宝、さらに全ての奉仕員を祓い清める川原大祓という儀式が行われます。昔は宮川の支流がここを流れていた名残で、川原祓所(かわらはらいしょ)と呼ばれています。

つまり、この三ツ石は川原大祓を行う場所の目印であり、石に対する祭祀は無いと考えられます。 

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